北キプロス写真館 シェイクスピアの悲劇「オセロ」の舞台?

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この城塞こそが、あのシェイクスピアの四大悲劇の一つ「オセロ」の舞台である、、、
という説が出てきたのは19世紀末から第二次世界大戦後まで
イギリスがキプロスを統治していた時代のことらしい。
 

もっともオセロには、舞台は「キプロスの港」としか書いていないのだし、
(シェイクスピア自身はキプロスのことはあまりよく知らなかったようだ)
ここが本当にオセロの舞台といえるのかどうかは少し怪しい。

だが、こういう島のこういう港のこういう城塞がオセロの舞台だったのだな
というぐらいまで条件をゆるめれば、それは間違いではないのである。
 
 
 
 
 

城塞の外側には例によってワイルドフラワーが咲き誇っていた。
 

雑草のようでもあるが、もしかすると写真に写っている男が
少しは手入れをしているのかもしれない。
 
 
 

   
 
 

ところで、シェイクスピアの「オセロ」では、
主人公であるヴェネチアの将軍オセロが、
当時ヴェネチア領だったキプロスをトルコ艦隊から
防衛するために現地に派遣される。
 
 

物語の主題は恋を巡る悲劇であるからして、だしに使われた
トルコ艦隊は早くも序盤において嵐のため海に沈むという形で
処理されてしまい、以後出番がない。
 

恋物語と悲劇はさておき、実際の歴史においては16世紀後半に
オスマントルコ帝国がヴェネチアからキプロスを奪い取り、
イギリスに獲られるまでの間保持した。。
 
 
 
 
 
 

撮影地  北キプロス ガズィマウサ オセロ塔
 Othello Tower, Gazimagusa, North Cyprus
(2006年3月)